« 2011年2月 | トップページ

2011年3月に作成された記事

2011年3月22日 (火)

どうなることやら

避難生活にも慣れ?(^_^;)
特に予定やることもないので
時間をムダにしてる感じです。

原子力発電所トラブルは
見通しがたたないので
計画すら立てられない。

浪江に戻りたい!

遠方の友人知人から心配励ましのメールや電話
心が熱くなる。
元気です。ありがとう。

pshyohan@docomo.ne.jp
090-1661-1385

pshyohan@i.softbank.jp
080-3338-1385

sabu@hangai.com

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2011年3月14日 (月)

ヤバイと思った

2011年3月11日(金) 14:46

卒業記念家族写真撮影中に
携帯の緊急地震速報のアラームが鳴る
すぐにスタジオから退避お願いするも
2階待合室で激しい揺れ
経験ないぐらい長く、激しい横揺れで
窓越しに向いの食堂が崩れるのが見える
こちらも倒れるのかと感じるほど揺れた。

お客様家族に怪我もなく

なんとか、店舗ビル自体は問題なく持ったが
2階スタジオと3階フロアは
物が倒れ散乱し足の踏み場もないほど
余震や津波警報が出たので一時高い所へ避難し
夜戻ったが駐車場で車中1泊。

12日(土)
日の出前、薄暗いうちに目が覚めた。
明るくなるころ自宅へ行きチェックすると
特に建物に問題はない。
良かったと思う暇もなく、巡回放送で避難指示!
詳しい内容は分からなかったが放射線問題らいいので
隣の市の親類のところへ避難1泊。

そこからは戻ることなく避難生活が始まる。
13日夕方には仙台市の妹家族の自宅へ到着世話になる。

全く見通しがつかない。
予定も立てられない。

こういう事態を想定して
わざわざ首都圏から遠い福島の地へ造ったんでしょうが
最後は見捨てたり、切り捨てられた地にはしてほしくない。

でも、対応の間違いから(何を優先して守るのか)
結果被害が大きくなってしまった感はあるし
故郷は厳しい環境になってしまった。

でも望みは持っています。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

« 2011年2月 | トップページ